苫米地英人さんの「人間は「心が折れる」からこそ価値がある」を読みました。
内容のメモと感想
本書のメインの題材の1つは人工知能です。
本書は人工知能研究者が最終的に作ろうとしているのは「心の折れるコンピュータ」であるというところからスタートします。
本書を読んで、人工知能ができたからって人の仕事はなくならない。
人工知能はめんどくさい仕事をやってくれる。
しかも、本当に賢い人工知能ができたなら、複雑な問題についても、 スマートで倫理的な回答を出してくれるかもしれない。そんな明るい未来を想像しました。
人工知能ができて人の仕事はなくなるか
そもそも仕事の定義とは何でしょうか。
本書では、「職業」の正しい定義は社会に提供する機能とされています。
例えば学校の先生であれば教育、お医者さんであれば医療、となるわけです。
社会は機能を必要としているので、人工知能がなくなったとしても職業がなくなるわけがない、そう書かれています。
例えば、人工知能を搭載したマシンが教師の昨日の一部を担う日が来るかもしれません。しかし、人工知能に対して「生徒に何を教えるか」という設定な部分を考えるのは人間です。
よって、 人工知能の上司の人間の仕事は残ると考えられます。
また仮に人工知能を搭載したマシンが先生になることが一般的になると、人間の教師に教わることは非常に贅沢なことになる可能性がある、とのこと。
そうすると、今までと同じ「教師」としての職業も残る可能性があります。
その場合、人工知能を搭載したマシンに教わるよりも、今までと同じ「教師」に教わるほうが、お金がかかることになります。
よって、
- 設計側の仕事と
- 特にお金持ちの人が、「人」にやってもらいたいと感じる仕事
は、どんなに人工知能が進化したとしても、人の仕事として残ると考えられます。
確かに、「AIが人間の仕事をとってかわる」はあまりに雑な未来像といえそうです。
どんな仕事でも設計と、それをどう人間に届けるのかを考える仕事は残りのでしょうね。
AIは、仕事のはじめと仕事の終わりをつなぐ作業をしてくれるもの、というイメージを持っています。設計と、ラストワンマイルと、その2つにこめるアイディアは、まだしばくらく人間のものでありそうです。
心が折れる、つまり情動があるのは素晴らしいこと
情動のままに行動することは時に論理的でないことがあります。
(例えば、 仕事が残っていることがわかっているのに、疲れたのでやめるとか。)
でも、このように直観に従うことが、論理的に出す結論を上回る場合もあるとのこと。
もしかしたら、疲れたというのは体からのサインでそのまま仕事を続けていたら、くも膜下出血を起こしていたかもしれません。
(これは、感情というか、直観に近いイメージ)
近未来に向けて高めておきたい力
また、現代必要とされるのは、新しい高付加価値のものを生み出す力です。
本書には、仕事で高付加価値を生み出すことができるのは、自分の感情に正直で自分の感性を大切にする、心ある人間だけだとかいうことが書かれています。
嬉しいと感じることをするときに想像力が最も高まるからだそうです。
人工知能時代を生き抜くためには感情を否定せずに、感情を大事にすること。
まずは自分が嬉しいと思うことを探して行ってみること。
そして誰かに嬉しいと思ってもらえることを考えること。
本書の締めくくりは、人工知能と暮らす近未来に向けて、最も高めておくべき能力とはそのような情動の力だということでした。
最近、わくわくを大事に、人をよろこばせることにもっとすなおに直進すべきという主張する本によく出合います。
自分が本当に好きなことって何だろうと、自分に向き合うのってなかなか難しいと感じる今日この頃です。
自分の感情に鋭敏になる。仕事に疲れたと感じたら、休む。
自分を生きにくくしているのは自分なのかもしれません。